e-SATORIN film-psychology

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e-SATORIN film-psychology


恋愛適齢期
Date 2004/04/01(Thu) 08:46   Official site

配給:ワーナー映画
公開:3/27

監督/脚本/ナンシー・メイヤーズ「ハート・オブ・ウーマン」
出演/ジャック・ニコルソン/ダイアン・キートン/キアヌ・リーヴス

本年度アカデミー賞 主演女優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞コメディ/ミュージカル部門 最優秀主演女優賞受賞
ゴールデングローブ賞コメディ/ミュージカル部門 主演男優賞ノミネート 他

(ストーリー)
50代半ば離婚経験を持つ劇作家エリカ(ダイアン・キートン)は、この歳になり突然、同時期に2つの恋に揺れることに。それは娘が連れてきた30歳以下の若い女性としか付き合わないことで有名な63歳でプレイボーイの音楽業界のやり手ビジネスマン、ハリー(ジャック・ニコルソン)が夕食後、心臓発作で倒れ、しばらく療養生活を送ることになったのがきっかけだった。海辺の別荘でエリカは執筆を続けながらハリーを介抱するハメになるのだが、ハリーの無礼な態度と騒がしさに2人の関係はギクシャクしっぱなし。そんなハリーとはうらはらに20歳近くも年下のハリーの担当医ジュリアン(キアヌ・リーヴス)から猛烈アプローチを受けるエリカ。突然の告白に戸惑う彼女だったが、一方で一つ屋根の下で暮らすハリーを意識し始めていた。そしてハリーもまたエリカの魅力に惹かれ始めるのだが...?!

オスカー女優ダイアン・キートンと同じくオスカー俳優ジャック・ニコルソンがとびっきりキュートな中年の男女を熱演!顔のしわやスタイルを気にするエリカが恋に落ち、感情的に泣いたりわめいたり、喜んだりする姿はメチャクチャ可愛くて、年令に関係なく誰もが共感するはず。そしてハリー役のジャック・ニコルソンが病院で意識もうろうの中、お尻丸出しでクルクル回りながら歩くシーンに笑いが止まらない。中年の2人が恋の駆け引きを繰り広げるさまはある意味、好きな人に素直に感情を伝えられないティーンの初恋の姿みたい。観終わった後に自分もエリカみたいに一生懸命になれる恋がしたくなるはず!

〜心理的観点から観ると〜
「恋愛に適齢期」なんてあるのか?一般的に歳をとればとるほど恋に臆病になるもの。それは経験を重ね、楽しい思いだけでなく辛い思いも味わったお陰で、これ以上、傷付きたくないという思いが先行してしまうから。さらに自分自身の外見に対しても自信を無くし「若い子に勝てる訳がない」と勝手に納得付けしてしまうから。けれど考えてみると大人になればなるほど、人は経験を積み、考え方など内面的な魅力も増す!だからこそ歳をとればとるほど深みのある恋愛が出来るのは事実。いくつになっても恋は出来るし、年令ごとに恋愛のスタイルも変わっていく。自分自身が恋に逃げ腰にならなければ、人生いくつになったって「恋愛適齢期」なのだ!この映画を見習って大いに恋をして、大いに人生を桜花しよう!


ファインディング・ニモ&ピクサー
Date 2003/11/12(Wed) 08:27   Official site

配給:ブエナビスタ
公開:12/6
劇場公開:丸の内ピカデリー1ほか

(ストーリー)
グレート・バリアリーフの海の底。男でひとつで息子を育てるカクレクマノミ、マーリンはたったひとりの息子ニモが心配でたまらない。それは6歳になった息子の初登校日だから。ニモは右のヒレが左よりも小さいので上手く泳げずにいじめられるんじゃないか?危険な目にあうのではないか?と神経質になるくらい不安だったのだ。しかし事件は起こってしまう。先生の引率で初めて遠出をしたニモは同級生と共に外海に出てしまう。しかし後をつけていた父マーリンにそのことを叱られ、腹いせに海に出ていたボートを触ったニモをダイバーがさらっていってしまったのだ!マーリンの追跡も虚しく姿を消したボート。発狂寸前のマーリンは海でボートを見たというドリーに出逢う。彼女と行動を共にすることにしたマーリンだったが、ひとつ問題がああった。それは、ドリーは極度の健忘症だったのだ!果たしてマーリンはニモを見つけることができるのか??

海の世界を舞台に「母を訪ねて〜」の逆パターン、「息子を訪ねて三千里」的な父親の海底アドベンチャーを描いたピクサーの最新作。熱帯魚、サメ、カメ、エイなどなど多くの海の生き物達が登場し、愛嬌を振りまいていくる。魚とお友達になる為、菜食主義になろうと努力するサメトリオ、陽気で恐いもの知らずだけど物忘れが激しいナンヨウハギのドリー。ピクサーならではの驚くほど美しく立体感のある3DCGによる映像は見応え十分。ただしディズニー&ピクサーはどんな作品にもかならずしっかりとした1つの深いテーマを持ち、心理的観点からもアプローチをかけている。

(ディズニー&ピクサーの心理的アプローチ術)
ピクサーの斬新な試みは、アニメーションを立体的に描くことで、映像的にも広がりを持たせ、まるでその世界に自分もいるかのような錯角を起こさせるという視覚的マジックを考え出したこと。
それも人間界ではなく『トイ・ストーリー』ではおもちゃの世界、『バグズ・ライフ』では虫達の世界、
『モンスターズ・インク』ではモンスターの住む架空の世界...。
なぜ人間界ではないのか?実はこれにはちゃんと理由がある。
製作総指揮であるジョン・ラセターは『トイ・ストーリー』1&2、『バグズ・ライフ』を監督。
この3作品では友情の素晴らしさ、チームワークの大切さ、チャレンジすることの重要さ、ディズニーがモットーとする精神「夢を諦めなければ必ず夢は叶う」を伝えていた。
つづく『モンスターズ・インク』では製作総指揮をとり、噂や外見にとらわれずに真実を見ることの大切さ、言葉が通じなくても人は心が通じ合え、血はつながっていなくても愛情が絆を深めるということを教えてくれた。さらに人とモンスターを逆転させる立場で描くことで、外見だけで判断してしまうことの愚かさを描いていた。〜これは統べて子供の成長に役立つ心理的なアプローチなのだ!

そして今回の『ファインディング・ニモ』では父と子の関係性や行動することの大切さを描いている。

この物語りは監督のアンドリュー・スタントンの人生で起こったことがベースになっていて、彼が自分の子供にしていた過ちをマーリンとニモに置き換えたのだという。マーリンは良き父になろうと頑張り過ぎて、「そっちにいっちゃダメだ」「ダメダメ、そんなことしちゃ」とニモに禁止令を出し続ける。息子を心配するあまり、息子を言葉で縛り付ける父。
しかしそれが間違った子育てであると他人が気付かせてくれるのだ。それはマーリンとドリーとの冒険で、ドリーが語る一言一言。ニモに対してのマーリンの考えを聞いたドリーは「冒険は危険だ、なんて言ってたらなにも冒険できない子になっちゃうわ」と言う。またカメの親子と出逢ったマーリンはその子育て方法に驚く。
カメの子がうっかり海流の外に弾き飛ばされても父ガメは救いの手も差し伸べず、「自力で戻ってくると信じているから」と笑いながら言う。子供の力を信じてあげること、のびのびとやりたいことをやらせるてあげることが子育てに重要なんだと気付き始める父マーリン。この映画は父親のあり方、父と子の絆の深め方を失敗例から取り上げた父親へのアプローチ的親子愛映画なのだ。


イン・アメリカ 三つの小さな願いごと
Date 2003/10/07(Tue) 09:13   Official site

(ストーリー)
移民達が夢を求めて集まる街ニューヨーク。ジョニーもまた、俳優になるためにアイルランドから妻のサラと2人の娘クリスティとアリエルとともにこの街にやってきたのだった。ドラッグ中毒、ドラッグクリーンが暮らすヘルズキッチンでの貧しい暮らしはけして楽なものではなかったが、彼は暖かい家族の愛に包まれて幸せだった。ある事を除いては...それは、この街に来る前に失った一人息子フランキーの死。ジョニーとサラはこの悲劇を思い出しては涙にくれていた。やがて娘達はアパートの下の階で暮らす謎めいた黒人のアートアーティスト・マテオと知り合う。この出逢いが一家にとって思いがけない奇蹟を起こすのだった...

〜心理的観点から観ると〜

この作品にはソーシャルワーカー的役割りを果たす2人のキャラクターがいる。
それは黒人アーティスト・マテオと何を隠そう長女のクリスティ。

マテオはサラの心の病み(息子の死)に早くから気付き、共感し、
静かに語りかけ希望を与えるさりげない言葉を投げかけるなど受容的態度を示す。
そしていつの間にか一家と信頼関係=ラポールを築く。
彼はカウンセラーのアクティブリスニングを完璧に果たしているのだ。

しかしジョニ−の一番のカウンセラーはもしかしたらクリスティかもしれない。
実彼女は幼いながらも必死に「お姉ちゃんなんだからしっかりしなくては」という
大人的目線で一家を見て、涙にくれる母や息子が居ない現実を時として
受け入れられない父の姿を見て、自分は冷静に勤め
妹を面倒見ていかなければ...心に強く思っている。

実はこれは親が小さい頃にこの長女に
気付かないうちに送っていた禁止令が引き起こしたことが原因なのかもしれない。
親は「お姉ちゃん(兄)なんだからしっかりしてね」
「お姉ちゃん(兄)は手間のかからない子だね」
と小さい頃から言われていると
子は「しっかりしなくては」「手間をかけちゃいけない」
と心の中に深く思い、逆にその感情で身動きができなくなる。
「イイ子に育って」「人に迷惑をかけるな」など人間として当たり前だと思う言葉は
実はその子の感情の成長をさまたげる(禁止令)になることもあり得る。
クリスティはその感情からネガティブになることなく大人的目線で家族を見ていた。
自分の感情を押し殺し、現実を必死に受け止め家族の心を影で支えていたのは
クリスティなのではないだろうか?
そんな彼女の姿に胸打たれ映画の深いテーマを見つけた気がした。


リロ&スティッチ
Date 2003/10/06(Mon) 08:57   Official site

『リロ&スティッチ』=映画概要

(ストーリー)
ハワイのカウアイ島に住む5歳の少女リロ。彼女は両親を亡くし、姉のナニと2人で暮し。
友達もいなく、悪戯ばかりしては周囲を困らせていたリロの前にある日不思議な生き物が現れる。
一見、犬のように見えるその動物にスティッチという名前を付け飼うことにしたりロ。
しかしスティッチはとんでもない乱暴者。
実は遺伝子実験により作られた悪のエイリアンで宇宙から逃亡してきたのだった。
スティッチに手を焼きながらもリロは初めての友達に精一杯愛情を注ぐ。
そしていつしかスティッチにも「家族」という言葉が
心に染みわたっていくのだった...。

2002年 アメリカ映画
ウォルト・ディズニー・アニメーション

===映画を心理的観点で見ると===
とんでもなく乱暴者のスティッチがいったい何故
愛くるしい動物になったのか?!
その謎がこのアニマルセラピーの基本的概念。

 『動物を世話することで愛や人との関わりを学ぶ』
  (A.A.T.=Animal Assisted Therapy)

同じ痛みを持った生きモノ(人間と動物)が
一緒に暮らし助け合うことでまず共感が生まれる

さらに動物は言葉が通じず
どんな外見の人間にも平等に接する生き物

動物を育て、スキンシップや行動を通して
「愛情」を知り、「愛情」を受けることが出来る

また、自分と同じような境遇の動物を世話することで
人は自分の姿をその動物に投影させる性質が!

よってアニマルセラピーで
他人との交流術を動物から学ぶことができるのだ!

スティッチの場合...

 破壊することだけを目的に作られたスティッチに感情はない
        メ
 なぜなら、彼は他人から「愛情」を受けたことがないので
 「愛情」という感情を持ち合わせていない
        メ
 そしてそれについて悩むような環境にもともと居なかった
        メ
 つまり、感情を育てるのは「愛情」そのものなのだ!

 
 ではスティッチのココロの成長を心理的に見てみよう!

@ハワイに降り立つまでのスティッチの精神状態は「赤ちゃん」

   エスの世界=本能的な欲望のみ

・破壊することだけが感情を表現する唯一の手段
     マお腹が空いたら泣く赤ちゃん
      
       =幼児期

        メ

Aハワイでリロという少女と出逢い彼女に飼われ、かまわれるようになる
 そこで始めて人との共存上必要な「相手との関係」を体験

  アイデンティティーの形成

・かまわれることにイライラを覚え放っといて欲しいという気持ちから
 リロを困らせようとし暴れてしまう

 感情の不安定=第一時反抗期の訪れ

        メ

Bリロから「オハナ」というハワイの言葉で(家族)を意味する精神を教えられ
 いつしか家族や愛について考えるようになる

      アイデンティティーの模索

・愛を知ったスティッチが「みにくいアヒルの子」の
 本を気に入り、自分の家族を捜すことに...

   感情のコントロール=青年期の訪れ

        メ

Cリロとの関係で「愛」を知り「家族の絆」を知ったスティッチ
 泣いたり笑ったりだけでなくやさしい気持ちを持ち
 リロとのリレーションシップを確立する。

      アイデンティティーの確立

・悪い人からリロを助けるため自分の危機を顧みず行動=成人期


 その結果...
 スティッチを育てたことでリロもスティッチ同様ココロの成長を遂げた!

  リロのココロの流れを見ると... 

 イタズラばかりしたり、暴れたりで姉を困らせていたリロ
 (本心はかまって欲しいという思い)

        メ

 自分と同じように母の居ないスティッチを飼うことに...
 スティッチに好かれようと相手の心情を知ろうとする
 (思いやるココロを持つ)

        メ

 暴れるスティッチに対して静かに対応し、荒らした部屋をかたずけるようになる
 (我慢すること等感情のコントロール)

        メ

 相手を思いやり人に迷惑をかけない社会的人間に成長!

『リロ&スティッチ』から見てとれるように
アニマルセラピー=動物との触れ合いで感情豊かな人間に成長
社会生活で必要な協調性やコミュニケーションの術を知る

〜スキンシップが愛情を育て生きることに希望を与えてくれるのだ〜


 


『千と千尋の神隠し』
Date 2003/08/11(Mon) 17:24   Official site

(ストーリー)
父親の転勤で引っ越すことになった千尋は、たいくつな気分で両親の運転する車で引っ越し先に向かっていました。しかし、途中、道に迷ってしまい辿り着いたのは、見た事もないトンネルの前。興味本意からトンネルを潜ってみると、そこは「不思議の町」。町には誰もいないのに店の中には美味しそうな料理がズラリ。怖がる千尋の制止も聞かず、お父さんとお母さんは空腹から食べ物に手を出してしまいます。実はその料理は神様達に捧げるもので、掟を破った両親は豚にされてしまいます。実はこの町は、神様が集まるところで、たった1人残された千尋は生きていくために魔女・湯婆婆が営むお風呂屋さんで働くことになるのですが...。
2001年 日本映画
原作/脚本/監督/宮崎駿(『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』ほか)

===心理的観点で観ると===
『名前』
千尋は湯婆婆に名前を取られ、千として湯屋で働くことに...名前を取られるということは、まさにアイディンティティの欠落。名前を取り戻す為、両親を助けるために必死に働く千の姿を通して本来の自分という人間について、自分にとって大切なものに気付くこと意味している。
『教訓:ブタ』
勝手に人のものを食べたお父さんお母さんがブタの姿に...ブタは怠惰を意味する。劇中、湯婆婆は「働かないとブタにしてしまうよ」というが、貪欲である人間は何の役にも立たないという教訓。
宮崎監督の『紅の豚』のセリフに「飛べない豚はただの豚さ」というのが、あるが『千と千尋〜』の豚はまさに飛べないただの豚。大人になって傲慢になる人を象徴。
『教訓:現代社会』
働かないと生きていけないと知り、必死に働く千...これはまさに物質的現代社会への非難。なんでもある世の中で、楽をして生きようとする人々の愚かさや警告を意味する。千がやっと食べ物にありつけ、真っ白いおにぎりを口に頬張った時ポロポロと泣くシーンは、素材の美味しさ、素晴らしさへの気付きを意味する。
『顔ナシ』
顔が無いというのはやはりアイデンティティの欠如。体もしっかりとしたカタチではなく未発達なことから自我の未発達を指す。千への執着は、初めて自分の存在に気付き、声をかけてくれた存在だったことで、存在を認めてくれたことからくる。途中、金は出し「喜べ」「喜べ」という顔ナシの行動は、愛情を受けたことがない彼ならではの物質的愛情表現。それに対して「いらない」と千が言ったことで、拒絶されたと思い、初めて悲しみと寂しさの感情を抱く。そんな顔ナシが無差別になんでもかんでも食べまくり、満たされずに醜い姿になるのは、自分にとって本当に必要なものが判らなく模索していることを指す。
顔ナシの変化...電車に乗って銭婆のところへ千たちと行くシーン。千に「もう戻れないかもしれないよ」と言われて、切符を受け取り、千の横に座ることだけを許された顔ナシ。このシーンで初めて顔ナシは自分の意志で行動を起している。人に頼らず、自分で人生を切り開くことを知る。
そして銭婆と暮らす決心をした顔ナシ、初めて自分を必要としてくれている人との出逢いを通して自我の完全な確立を果たしている。
『教訓:自然破壊、環境破壊』
日本中の色んな神様がお風呂に入りにくる...臭く汚い川の神様がお風呂で汚れを洗い落とすと、自転車やら色んな廃棄物が出て来るというシーンは、まさに環境汚染の象徴。神社の神様など体を洗いに来るのは、人の心の汚れ、悲しみを綺麗に洗い落とし、新たに生まれ変わらなければいけないという意味なのかも。
ハクが川だったこと...ラストで、ずっと会ったことがある気がしてた大好きなハクが、小さい頃に落ちた川だったとやっと知った千。成長して忘れかけていた大切なものは、川という(自然)だったという気付き。
川は浄化を意味するので、千の心の浄化を示しているのかも。そして見かけで判断しては決していけないという教訓が描かれている。


『アメリカン・ビュ−ティ−』
Date 2003/08/11(Mon) 17:24   Official site

(ストーリー)
郊外の新興住宅地、中年サラリ−マンのレスタ−は住宅ロ−ンを抱えている最中、リストラで会社をクビになってしまう。なんと取り柄もない夫にうんざりしている妻のキャロリンはオシャレな生活を夢見、躍起になっている。ハイスク−ルに通う娘ジェ−ンは、格好悪い父親を嫌い、ろくに口もきかない。ある日、娘のチアガールの晴れ姿を見に行ったレスタ−は、娘の友人の美少女アンジェラに一目惚れしてしまう。なんとか彼女と関係を持とうと夢見、彼女好みのマッチョな男になろうと筋力トレ−ニングを開始するレスタ−。そして事態は家族、その近所を巻き込んでトンでもない方向へ向かっていく...。
1999年アメリカ映画
監督:サム・メンデス
出演:ケビン・スペイシ−、アネット・ベニング他
   
===心理的観点で観ると===
『アメリカの理想』
「アメリカン・ビューティー」=アメリカ人の美徳と訳したほうが判り易いかも?主人公の妻キャロリンを見れば判るが、人よりちょっとワンランク上の服、人よりちょっとワンランク上の生活、クリスマスには七面鳥を焼き、キャンドルライトでテーブルを照らす...そんな理想を追い求め、自分を良く見せようと無理をし、生きている人の象徴。学校の人気者・美少女アンジェラは、自分はいかに男性にモテ、男性経験が豊富かを誇張。マセていることを美徳としている彼女は実は男性経験がない。しかし処女だということが世間にバレるのを恐れている。これも人間が勝手に作り上げた美徳なのか?社会で生き抜くために自分を守る為の手段としてエゴで作られた地位、名声、などの仮面を必要だと勝手に考え、かぶる人々。その仮面が壊れた時、ドラッグに走ったり、自殺をしてしまったりする彼等の弱い心を指している。
『名前の裏』
主人公の中年男レスターは(ジェスター)ともとることが出来、英語で「道化師」を意味する。そしてレスターが恋焦がれる女子高生アンジェラはエンジェルで文字通り「天使」。どんなに頑張っても手に届かない天使に恋してしまった道化師が、彼女に見合う男になろうと妄想を始め、あれこれと思索し、もがきながら破滅へと向かっていく様を皮肉を込め意味している。
『真実の美』
レスターは美少女など外見の美を追い求め、いつしか自分を見失っていく彼に対し、レスターの娘と親しくなる近所の盗撮趣味の青年は、アンジェラに目もくれず、普段気付かないモノの美しさを追求し撮影し集めている。
ジェーンと彼が霊柩車らしき車が通り過ぎる道を2人で歩いているシーン...浮浪者の老女の死顔を美しいと思い、写真に撮ったと語る青年。「彼女のには、神が自分の存在に一瞬気付いたという表情が見えたんだ」「すべてのものの背後には生命と慈愛があって何も恐れるものはない」と静かに呟く彼は、目には見えない存在の美しさに安心感を感じている。
風でビニール袋が宙を舞う様をビデオカメラに納め、GFのジェーンい見せる...「世界には美の数々が溢れている」と青年は彼女に語る。何事にも捕われない感覚を受け入れた時、初めて自分自身の中で美が構築されるということを伝えている。 人生の価値を深める時間を無私し、あくせく生きてしまう現代人への忠告が描かれている。